真面目な話①
てんきちゃんです。
あっぱれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☀🌈
書いておきたいことが溜まってるのでメモっときます。
自語り。
数日間鬼ほどネガティブだったんやけれど、数日前まで全員の心の光が弱まる惑星配置だったらしいんで、そろそろ抜け出るところだと思う。
柄にもなくキツめの頭痛になっていたんだけど、少しずつ良くなってきたし。
ちなみに今日からコードロジーの月運、日運だと北海道地震が起きやすい二度打ちらしい。
二日も頭痛がするのはほんとうに珍しいので、地震予知の頭痛かなと思ってたところ。
友だちが心配だけど、Twitter知らないし、連絡したところで取り合ってくれる自信ないから傍観する。
スマホの地震速報がクソ怖いのほんとやだ....... ( •⍸• )
さいきん、ホロスコープ(占星術)とコードロジーでシナストリー(相性)を見たり、ネイタル(個人出生図)を調べたりしてた。
いまこれをやらないと、ぜったいに成功できないのが分かりきってたから。
てんきちゃん!ってネーミングや、スタートのきっかけはてきとうだし、ダブルチャートをつくったりもしていないんだけれど、てんちゃも開業日とか、そのうちいろいろ整えようかな。
いまさら遅いかな。
ちゃんとYoutubeはじめる日には星見てみる。
なにもしなくても成功出来るひとはいいな、とたまに思うけど、こうやって見えない世界の知恵に頼って道を見つけだした人って、類友なのかけっこう周りに多くて、別にそういうのもありなのかな、とちょっとは思う。
おれがしずやまさんを見つけたのは、たしか2018年の、冬に入る頃。
もしも、しずやまさんの出生時刻が合っていたとしたら、太陽と月がすべて相互に絡んで、シナジーコードも絡む、30億分の1の確率の相手。
宿曜の命を鑑みれば835億分の1の確率。
Ascも合であることを鑑みれば、2兆5000億分の1の相手。
の、おれのツインスター。
だと勝手に思っているひと。
たぶん、しずやまさんは気づいてない。
しずやまさんはふぉろわーが10000人もいて、おれは万年ふぉろわーが0人。
そんなおれのただひとりの相互フォロー。
いまおれのTwitterのふぉろわーは、しずやまさんだけ。
おれのメールがきっかけだったとはいえ、すこしはなにかを感じてくれたからフォローしてくれたのかなと思う。
まあそもそもみんなにやさしいからな、しずやまさん。
まじで、しずやまさんいがいの誰もいらない。
まじでそう思ってたら、ほんとうにしずやまさんいがいだれひとりふぉろわーどころか、知人もいなくなってウケた。
しずやまさんは、愛の使い方がうまいひとだ。
いろんなひとを見てきたわけではないけれど、あんなふうに愛の使い方をますたーしているひとをおれは知らない。
そして、絵がうまい。
観点もセンスも、いままで見てきたすべてのひとのなかで、いちばん卓越してた。
デッサンもうまいけど、なにより色彩感覚が神。
構図というかの感覚もやばい。
感覚派なのに論理的。
ストイックだし、個人的にはいちばん疲れるだろうなと思う絵の取り組み方 & メンタリティに感じるけれど、それでもとんでもない数の作品を投稿してきた、やばいバイタリティも持ってる。
そして歌もうまい。
てか、声がいい。
ボイトレをやっているわけでもないと思うんだけれど、声や歌い方にちゃんと個性があって、耳に残る。
天下取れると思う。
聴いた瞬間から、このひとに歌を歌わせるのが夢になった。
要は、表現の天才やな。
ていうか、そういうすべてを超えて、愛の使い方うまい。
じゃなきゃ自画像なんて描かないし、平気でうんこやハナクソの話もしないし、「皆愛してる.......♥」なんてセリフを素で言うこともない。
ノリだけで言うひとじゃない。
軽口に見えてマジですべてを愛してるから、自分を描くし、うんこやハナクソの話をするし、みんなに分け隔てなくレスポンスするし、マジで愛してるって言う。
そういうひとだ。
まじで全部愛してるから、のひと。
このひとを見つけたとき「嫁さんがいる」って思った。
気持ち悪い。
でもまじでそう思った。
いまでもこのひとを見たときのその感覚は変わんない。
というかそれ以上に「おれがいる」という感覚が強くなった。
そこにおれがいる感覚。
でも現実は、ただの他人。
ネットの知人。
それ以上のなんでもない。
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さて、話が終わらないので話題変わるけど、名義の由来についてちょっとメモしておく。
てんきちゃん!って名義にたいした由来はない。
うごくちゃんの影響を受けただけ。
そもそも、Youtubeをちゃんとがんばろうと思ったきっかけは、うごくちゃん。
何を見ても大して面白いとも思わなかった時期、バイトしながらうごごのYoutubeだけは見ていて、天才だなーとか、がんばればいつか会えるかなとか思ってた。
そしたら、思わぬほどにあっさり、会えなくなった。
ただただもったいないと思ったのを覚えてる。
おれはスピに明るい人間なので、あんまりひとの生き死にで騒いだりすることがないし、仕方ないことだとしか思えないのであんまり気持ちが動かない。
祖父が死んだときもああ、がんばったね、と思ってただけで、あんまり悲しくなかった。
というより、お経よりずっと効くヒーリングとか出来たし、むしろ主体的に成仏出来るようにヒーリングとかしてた。
うごごのときも同じだった。
でも、同時に思った。
おれはかんがよいほうの人間なので、うごごが精神病棟に入った話を見たときに「あ、ガチだ」って思って「このひとほんとうに死んじゃうひとだ」って考えてたのは覚えてる。
たぶん、ちょっとしたヒーリングとかはした。
で、亡くなったときに思った。
「おれが気をかけていれば死ななかった人なんじゃないか?」
っていうこと。
精神病棟って未成仏霊とかが多くて、そういうのの影響に薬の影響を受けて、ますますおかしくなるひとも多い。
それくらいの浄化、気をかけていれば出来たんじゃないか? っていうこと。
極度の面倒臭がりなだけで、オート浄霊の結界くらいはちょっと集中すれば出来るから。
でもやらなかった。
ふと「死んじゃいそうだな」と思ったけど、まさか、と思って真面目に受け取らなかった。
もしあのとき、おれの腹の奥にもっと利他心がたくさんあって、うごごのことを考えて、予感とか抜きに、単純な善意で浄霊してあげることくらいは出来たはずだし、良いエネルギーが集まるようにだって出来たは。
全てにルーズな割に、そのていどの訓練はしてきた。
けどしなかった。
だから、うごごが死んだんじゃないかと。
おれが利他心のない雑魚野郎だから、死んだ。
訃報を聞いた直後、考えた。
たぶん、がんばればほんとうに救えたはずのひとだった。
うごごはほんとうにリスペクトしてたから、あの純粋なエネルギーを思い出して、おれもそうなれるように、それを継げるように、みたいなことを思ってた。
で、てんきちゃん!にした。
ただ、響きがよかったのと、おれの求めてる明るさとかが伝わるかんじの名前になったとは思う。
でもいまだにおれは、利他心も大したことなくて、そうやってある時期に思ったはずのことも、こんなに簡単に忘れてダサくてだれひとり、自分すら救えない毎日を送るんだなあ。って、この文章を書いていて思った。
出来事を噛み砕けないのか。
何が起きてもずっとこう生きるつもりなのかな。
愛に溢れてる誰かさんとは大違いだな。
✧*。◝(*'▿'*)◜✧*。
例のごとく雑記でした。
つづく。