てんきちゃんのぶろぐ

おい!!!!!!!!!

(`A(;A('∀')`A)’A)

"はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」"



てんきちゃんです!

具合が悪い。

立つと頭が痛(つう)......って感じできゅーってなって、左目の奥からおでこのあたりまで常に痛いのが、ここ一週間くらいずっと。こんなに頭痛が続いてるの人生初だと思う。頭痛じたい年に数回しかないし。

あと、めっちゃ腹減る。急に食事量増えた。

人生の変わり目にこういうこと起こるって話も聞くので、それを頼りにいまぐったりしてるわけなんですけれども。運動不足極まる。

でもなぜか、暇なときにやってたビートボックスのせいで口輪筋だけはどんどん強くなってるのでウケる。
Hikakinさんに聴いてもらおう夢の中で。

あ、日記です。


さいきん好きだったすとぷりや、Pちゃん周りのエンタメや歌ってみたから距離を置いているんですけれど(2cmくらい)、というのも、どうしてもおれが生まれ持った運命の方向性みたいなのが、なんというか好きなことに突っ切れば万事上手くいくかんじじゃないっぽいな、っていうのを薄々感じはじめまして。

エンタメまわりのいろんな分野に触れてきた人間なので、どうしても、

「どんどん発信して動いて働いて勝ったやつが強い!それ以外はカス(・          ∀          ・)」

みたいな感覚が強くて。
とくに絵とか音楽の業界のひとはそういう意識強いひとめちゃくちゃ多いんすよ。

「いいから書け!曲を作れ!!!!」

みたいな。

社会人としてはそういう価値観にひた走るのもまっとうというか、むしろ良いと思うんですけど、おれ気功とかヒーリングとか、チャネリングとか悟りとか、たいていのスピリチュアルとか、占星術とか占いとか神示とか、わりといろんな見えない世界の分野に浅く広く触れてきたんですよ。
ご縁っていうか。

音楽をはじめ、エンタメの世界にズバッ!と突き進んで成功していく、それこそ敬愛する米津玄師さんとか、イラストレーターのloundrawさんとか、すとぷりのるぅとくんとか、まあそこまでのレベルは極端ですけれど、なんかそうなりようがないなってことに23の今になって気づいて。

米津玄師さんなんか、いまごろdioramaとかYankeeとか出しはじめる頃なんじゃないのか。
うーん。

まあ、そのレベルのひとと比べてもって言う気持ちもあるけど、おれの自認ではそのレベルの創作者になる運命を持ってると思ってたんですよ。
ていうか、常に思ってるんですよ。腹の底では。

でもやっぱり途中で気づきますよね。

そういう方々のようには流れが良くないことに。

なんか、気感的には第一チャクラ的なエネルギーが止まってるんですよね。さいきんきづいたの。小難しくない言い方すると、生命力が止まってる。
ハートのあたりで止まってるんすよ。
なんか、言語化すると "人生への諦め" みたいなものが胸に詰まっていて、いま諦めを感じてるとかじゃなくて、たぶん過去の集大成的な感情が、なんかもう胸に詰まってるとか、胸で固まってるという言い方しかしようがないんです。

生命力を発揮するのと(=表現伝達)への諦めみたいな。

中学生時代に不登校で、母親との関係がけっこう最悪だったんですよ。そのときつねに思ってたのが「なんでおれの言いたいことはなにひとつ伝わらないんだ」みたいな、悲しみとか、絶望。精神科医も表ヅラだけ同調してきて気持ち悪いし、誰ひとり俺の言ってることちゃんと聞いてないし、最後に頼みの綱だったヒーラーですら、誰ひとりとしておれの本質を分かってくれなかったし、見てはくれなかった。ってかんじ。
つれー。

まあ、もう大人なのでいまさら人のせいにはしないけど。

俺ってスピな世界に明るいやつなので、べつに「見えない世界に縋り付くとかもう終わりだな笑」みたいな、いまどきのあるある何様視野狭窄厚顔無恥自称現実派野郎みたいなことは思わなくて、ヒーラーや霊能者の信頼性がどれほどのもんかも分かっていたので、それだけに、誰ひとりとして俺の本質が見えなかったという事実が、ほんとうにキツかった。

だって「過去世が宇宙人だった頃のことをさいきんたまに考える」って相談したら、

「うーん、"ルシファー的影響" が強いですね.......」

みたいなこと言われるんですよ。


"ルシファー的影響" って何???????

厨二病ですか?????

(それはお互い様。)


補足すると、世の中の唯物論的な事象に対して、ふわふわしたうざってえ夢の中みたいななエネルギーのことを、ルドルフ・シュタイナーというかたの著書から引用して "ルシファー的" って言うんよ。
要は世の中の側面として、"夢見すぎエネルギー" のこと。
それが強いって言いたかったのね。

で、それを聞いたヒーラーの講師が、

スターウォーズとか見て一度は憧れたりしますからね、宇宙人〜〜!!!」

みたいなこと言ってて。

いや見たことねえわ一回も。スターウォーズ

はあ、ヒーリング関係者が言うことなんだそれ。
という点で、マジで呆れたし腹が立った。
真面目に聞いてんのに。

ちなみにいうと、おれは地球人歴が浅めで、やっぱりルーツが地球外にあるっていうことが、のちのちになって複数のソース(知る限り最も正確なヒーラーさんのひとりと、ホロゾフィー海王星コード)で判明した。
てか、自分の過去くらい体感でわかるのよ。
単にこの感慨をちゃんと受け止めて欲しかっただけなのに。

世の中のヒーリング実践会ってこんなもんなのか。
そのへんのひとたちと取捨選択能力は変わんないんだな。
くだらな。

みたいな、ひとの心や魂に向き合うひとですらこれなのか、ということでさらに、諦めは強くなったように思う。
それくらい誰かに話を聞いてほしかった、子どもな部分がまだ強かったってことではあるんだけど。
そのへんの気持ちを何年もかけて、丁寧に、真綿で首を絞めるように、潰されていった。

あとは死んでも忘れられないのが、そのヒーラー業界の大家みたいなひとに、

「いろいろやんないで、音楽は趣味でやったら?」

みたいなこといわれたことかな。
マジであの一言は、死んでも忘れられない。

俺は体感、音楽を趣味でやるとか、そんな運命は一度も感じたことない。俺は自分自身に関する体感はほとんど外さないし、よいものや、正しいことがひとより高い精度でわかる才能があるほうだと自覚してた。
そもそもいうと、俺のメロディや歌詞の練度はその時点で、もう趣味とかそんなレベルじゃなかった。
だから、この霊能者、マジで言ってんのかよ、と思った。
マジで言ってるんだとしたら、めんたま節穴にもほどがあるよ、と思った。

ああ、ダメだこいつら、となった経験の核になった。

結果を出してない分際でそんなことをいうと、それこそさっき言ったみたいに「結果を出したヤツが勝ちだろ、負け惜しみおつ(笑)」みたいな話に戻るんだけれど、なんかおれと似たタイプのひとにしか絶対分からないと思うんだけど、「ああ、俺は(もしくはこのひとは)こういう感じの運命を持ってるな」みたいなにおいというか、腹の底の感触ってわかるんよ。

で、それはまず外れない。

無論、他者がそういう個人的な予感に気づくことは、マジで本業の超霊能者さんしかない。

だから、そのヒーラー業界の大家的なそいつに対して、「あ、このレベルのヒーラーでもだめなんだ」
とおれが一方的に思う結果になった。


そんなこんながあって、信頼していたはずのヒーラー業界にも(どちらかというと、受ける側というもり施す側として学んでたので、その意味で)期待を裏切られ。

十代から縁があって、7年近く薄く長くスピ業界に触れてきたつもりだったんだけれど、さいきんになって改めて気づきもあって、ようやく分かった。

こいつら、視えてるけど、結局 "人間" だ。

ということ。

これはマジでスピに触れてたひとにしか分からないかもしれない。
ついさいきん、予言で話題になった「私が見た未来」の漫画家のたつきりょうさんが、漫画の中で近いことを言っていたんだけれど、「わたしを視た霊能者さんは、たしかにみんな近いものを視てはいた。けれど、視えているものはわたしに関する記憶やイメージが混ざっていて、正確にみることが出来てはいなかった」みたいなはなし。
悪いけど、まじでみんなそうだった。

たしかにヒーリングに関して言えば、単純化された情報を受け取ることについてはみんな、けっこう正確だった。

でもそのひとの運命とか未来とか、そのへんの複雑化した情報になると途端に、だめだった。
そもそも未来の可能性っていう、いろんな表出の仕方をするであろう事象について、ただひとつのルートしか示さない情報伝達のしかたするってのがもうさ、方法論として間違ってるのよ。

見えないものがみえたところで、肝心の受け取れる情報量や情報処理の部分は、みんなもれなく100%人間だった。


という、そのへんの「なにひとつ分かってくれない、伝わらない」が積み重なって、いまの "絶望的他者不信と諦観の人間" であるてんきちゃん!(2021年ver)を生み出した。

はい。


なんか重ったるい話だけど、俺にとっては大事な観点。

だって、創作者って表現や放散がいのちやんか。

その表現全てを全身全霊で諦めてしまってるんよ。
そういうこころやからだになってることに気づいた。

だからもう、ここから創作者として生きていくには、一筋縄の方法じゃダメだな、とさいきんやっと、思い至ることになった。
で、だらだら暮らしながら少しずつ気づきが積み重なって、考えていた。

で、その結論はこれだった。

"おれは根本的に創作者が人生のテーマじゃない" 。
だいぶはしょるけど。

でもたしかに、創作者の運命を受け取っている。
それはコードロジーのネイタルコードにも示されてた。

特に音楽は、むしろ "趣味" なんかではなく、むしろ何よりも本業だった。
運命的な根本のテーマは創作者じゃない。
でも、創作者として生きる運命も与えられてた。

むずくね俺の人生??????

どうしたらいいの???????


ってことを、少しずつ考え始めた。


ちょっと長くなったから、また続きかくね。

おつー。